NO.147
2004年 9月25日
アクセス教育情報センター
目次
学校情報 |
学校情報 | 公開模試情報 | 教育情報 | その他 |
郁文館 | 横浜雙葉 | 首都圏模試9月 | 女性の高等教育 | 進学塾の歴史的曲がり角 |
学校情報
郁文館 塾対象説明会(04年9月15日)
1)校長紹介 司会 大木教頭
小林校長は慶応大学学法学部を卒業され、アメリカ・ハーバード大学、カナダ・ブリティッシュコロンビア大学等でも教鞭をとられ、現在は慶応大学、大学院の教授であり、弁護士としても活躍しておられます。
昨年から郁文館の校長として、自己犠牲のもとに陣頭指揮を執り数々の学校改革を断行されております。
2)校長挨拶 小林校長
郁文館は一生懸命変わろうとしている。
理事長は週1回しか学校に来られませんが、財務、教務、人事等の最終的な責任は理事長が負う。
理事長と二人で自分たちがよいと思える学校を作ろうとしている。
よい=卒業生が満足のいく人生を送れる力をつけてあげる学校。
大学に選ばれるのではなく自分が実力で大学を選べる力をつける。
社会で成功するかどうかは、必ずしも偏差値や学校の成績ではない。
自分は、今、55才で人を管理する立場にある。自分に合わない人はやめてもらうしかない。所詮、人間は一人で生きていくもの。
生徒にはBe a gentleman.と言っている。よき生活習慣を身につけ、よき社会人として生きていくように。
人格教育を行うというと、それよりも希望の大学に入れる学力をつけてくれと批判されがち。しかし、大学に入っても変な子だったらだめ。よい子でありながら勉強のできる子にする。
大学の教授と校長の両立ができるのかと言われるが充分できる。1日は24時間ある。仕事の場所に合わせ三カ所寝る場所を確保している。
時間がないことを言い訳にする人間がいるが、自分の経験からも、時間がないからできないということはない。
郁文館を見てもらうと、教師や生徒の礼儀が正しくなっているはず。
まず教師から挨拶、言葉遣いを徹底させた。授業中も教室を巡回して寝ている生徒を起こすこともやる。
自分でわかる科目は授業のやり方について、わからない科目も授業の雰囲気について教師の指導を行う。自分は授業のプロ。
自分の校長としての任期は3年。大木君(教頭)たちが育っているが、その間は鬼のように仕込んでいく。
その後も副理事長して理事長と週に1回は学校に出てくる。
最近は自分が穏やかになってきたと思う。
これまでも、今日は怒りたくないと思って学校に来ていたが、学校に入ったとたんに怒鳴りまくっていた。最近は機嫌がいい。先生が思うように動くようになった。
生徒もなついてくれている。
放映された番組では自分が生徒、親に教師アンケートをさせているようになっていたが、自分はアンケートには反対。自分が知らないから教わるのであって、教わるものが教える者の評価をするのはおこがましい。また、アンケートがあると普通の人は直前に生徒におもねってしまう。
先生は仕事の内容で責任を取ればよい。
自分は慶応大学で一番人気があり、一番不人気な教授だと思っている。
不人気は気にしていない。厳しい授業を行えば不人気になる。しかし、伝えることは伝えるという姿勢で授業を行っている。慶応女子からきた生徒は周りから甘やかされていて、授業中に怒鳴られるのは初めてという学生もいる。
でもアンケートは理事長の希望だから仕方がない。
生徒1600名とその親にアンケートを行なったが、自分たちのやり方に批判的なものは1%もなかった。校長が嫌いという匿名のアンケートが1通あったが上等だと思っている。
郁文館は北朝鮮ではないのだから、意見が1つであるはずがない。
自分だって自分が嫌いなときもある。
夢プロジェクトには3〜5%が批判的。
校舎が古いという意見もあった。校舎の新築に関しては費用や仮校舎等のこともありすぐにどうするというわけにはいかない。また、すぐに新しくすればよいというものでもない。
校庭に東京ドームと同じ最高の人工芝を敷いた。
学校は現在25億円の負債を抱えている。たぶん5年で完済できる。
理事長は300億円の個人補償をしている。
自分は理事長から100億円を預かっている。
教育内容についての批判は3%。自分たちの体制になってから入学してきたのは2学年のみ。残りの4学年は途中から自分たちに変わった生徒。それでも批判は3%しかない。
これからも学校案内にある内容の通りやっていく。
酒の席の話が盛り上がるノリでやっていく。
郁文館に来てから、日能研の小島理事長と意気投合してずいぶん助けてもらった。
テレビや雑誌等のマスコミで取り上げられたこともあり、期待感で偏差値も上げてもらった。その分、他の受験業界のグループには会ってもいないのに嫌われる。嫌われるのも励みになる。あるグループは8名受験する旨のリストを送ってきた。今まではもっとたくさん受けていたが今年は8名しか受けないという意味だと思う。そういうやり方は軽蔑する。
自分たちがやっていることは、中等教育の原則に立ち返ろうとしているだけ。
確かにクセが強いが、われわれは私学であり、経営者の自由がある。
こういう学校が好きな人はこの指止まれでよい。好きな人はきてください、嫌な人は来ないでくださいということ。
自分が正しいと思う方向で3年間やる。その後は副理事長として3年、週1回は学校に来る。1年半後に大木に校長を委ねるが、改革の結論が出るまではこの個性で付き合っていく。
−会場からの質問に対して−
愛国主義教育をやるのか。
愛国心を上から強制するのは馬鹿げたこと。自民党の人に、あなた方がこれまで政権を担当してやってきた。政治がしっかりしていれば、国民は自然と国や政治を信頼するものと言っている。学校として愛国心教育は行わない。
生徒指導について。
自分はこれまで生徒をなぐっても訴えられたことがない。動機が加虐にあるのではなく、本人のためということが伝わるからだと思う。
3)学校長代理 石田事務局長
郁文館の改革について
柱1・・人として正しくあるべき
郁文十訓を定める。郁文十訓が生徒、教職員の行動指針になっている。
挨拶をするようになる。
遅刻が減る。毎日600名近い遅刻がいたのが今は一ケタに。
郁文十訓の浸透を徹底していく。
柱2・・夢の実現
3つのプログラムを用意
@ 夢合宿
A 理事長講座
B 夢シート
3つのプログラムでDQ(夢指数)を高め、人生の成功者になる手助けをする。
DQを支えるIQ(学力)、EQ(協調性、社会性)、SQ(人生観)を高めていく。
@ 夢合宿
中1は5泊6日、中2から高3は10泊11日。各学年で年1回実施。
これまでに4学年の夢合宿が終わる。
夢合宿でIQ、EQ、SQの集中トレーニングを行う。
夢合宿の中で生活習慣をつける。
A 理事長講座
プログラム化できるのは来年4月以降になる。
夢を持つための選択肢として世の中のしくみを教える。
中1、中2は環境、国際関係、政治法律関係について。事前学習と外部の人の講演。
中3、高1はお金の流れ、社会のしくみについて。
高2は会社のしくみについて。文化祭での露天を疑似会社にして運営。
将来の方向性を定めるバックアップを行う。
B 夢シート
自分の夢の実現 → そのためにはどういう方向に進むか → そのためにはどういう大学に進むか → そのためには今日1日何をするのか。
自分夢のための計画表作りを行う。
夢シートには全ての行事の日程が入っている。その行事のためにどういう準備をするのかを決められるように。
生徒だけでなく担任もつけている。毎日チェックする。
修学旅行、体育祭もIQ、EQ、SQを高めるためのものとして行っていく。
郁文館国際高校について
国際高校といいながらこれまで特徴らしい特徴がなかった。
国際人としての能力と人間性を高めるプログラムを採用する。
50名、25名×2クラス。
@ 高2で1年間全員留学する。
A 英語授業を行う。(日本語でやらなければいけない教科以外は英語で)
B プロジェクターを利用して無駄のない効率的な授業を行う。それによりできた時間をディスカッションやレポート作成に当てる。
4)吉田入試室長
05年入試要項
1回 2月1日 男子70名 2科4科
特奨 2月1日午後 男子30名 2科4科
2回 2月3日 男子70名 2科4科
3回 2月4日 男子30名 2科4科
サプ 2月5日 男子若干名 作文、面接
合格予定者数が1回は140名から130名に。04年入試での合格者数が136名だったのであまり影響はない。
特別奨学生試験は四谷大塚、日能研模試の偏差50が対象。国語は全て記述式。
1回、2回、3回入試では難問は出さない。
サプライズ入試では本人の熱意、志、人間性を総合的に判断する。04年入試では小林校長の講義を聞いて、作文・親子面接を行った。05年に関しての入試方法は未定。どんな入試方法になるかわからないからサプライズ入試。
サプライズ入試からの入学者で学年の上位30名以内に入っている生徒もいる。サプライズ入試からの入学者が集団として他の入試からの入学者に劣るということはない。オリエンテーションで役員に立候補した生徒も多い。
サプライズ入試では偏差値の低い子を何とかしてくれという塾もあったが、成績の低い受験生のための裏道ではない。偏差値にかかわらず意欲の高い子を求める入試。
高校入試に関して 省略
=先入観が反映しないように、説明内容をできるだけそのまま記したつもり。校長の話も文字にしてみるとそれなりの話になっているが、自意識と自己顕示欲の強さが伝わってくる話し方。説明会担当の先生方の雰囲気もピリピリしており、校長に気を遣っている様子が感じられた。それは司会者の校長紹介の言葉にも表れている。=
http://www.ikubunkan.ed.jp/
海陽中等教育学校(仮称) 企業手腕でリーダー作れ
(毎日新聞 9月20日 教育の森)
中部地方に本拠を置くトヨタ自動車、JR東海、中部電力の3社が手を携えて学校教育に参入する。中高一貫の「海陽中等教育学校」(仮称)の開設を愛知県蒲郡市に計画している。学校教育の行き詰まりを感じる3社のトップが中心となって2年以上前から構想を温め、各企業に出資を呼びかけている。「次世代のリーダー養成」を看板に06年春の開学を目指し、設立準備財団が来月発足する。全寮制による人格教育や大企業ならではの人材調達力などが売り物だが、教育の「憂うべき状況」に一石を投じるだけの果実を生み出せるかは未知数だ。
◇寝食共にし規則正しく
人づくり自負
三河湾の湾岸を埋め立てた複合レジャー施設「ラグーナ蒲郡」の中に学校の予定地はある。「エリート教育ではなく、多様な資質の人材を育てたい」。学校づくりを着想したのは豊田章一郎・トヨタ自動車名誉会長、葛西敬之(かさいよしゆき)・JR東海会長、太田宏次・中部電力前会長の3人だった。旧文部省OBも交えて約1年間会合を重ね、昨年1月に構想を公表した。文部科学省によると、こうした大企業が集まって運営する中高一貫校は聞いたことがないという。「リーダーを育てる」という看板には「日本の教育はリーダーシップの養成から目を背けてきた。そういう教育制度で育った学卒生を立派な社会人に育て上げた実績が我々企業にはある」(葛西会長)という現状認識と自負がうかがえる。
中高一貫校の一種の中等教育学校を選んだのは「6年間という長期間で大きく構え、初めから目的に合った教育ができる」(設立準備委員会)からで、英国のパブリックスクールなど内外数十校も視察して参考にするという。校長には開成中学・高校(東京都)の前校長で東大名誉教授の伊豆山健夫(たけお)さんを迎える。
寮生活重視
決まった時間に起床し、決まった服を着て、決まった時間に出かける。「(今の子どもたちは)こうしたリズムのある規則正しい生活ができていない」。東京都荒川区教育委員長でもある伊豆山さんは痛感するという。
「生活リズムは人格形成に重要な意味を持ち、勉学面とも切り離せない」と言う伊豆山さんは「人格教育の場としての寮」を重く見る。併設する寮(4階建て、12棟)は「ハウス」と呼ばれ、教員資格を持つベテランの「ハウスマスター」(寮長)が1階に住み込む点に特徴がある。このハウスマスターが、2〜4階の個室で暮らす生徒たちと緊密にかかわり、生活から学習、心のケアまで目配りする。日本ガイシ副社長を務めた設立準備委の磯部克事務総長も「24時間生徒と付き合い、どう才能を引き出すか。ハウスマスターは極めて重要だ」と話す。
◇結局は幹部養成校?
少子化の中で
地元の教育関係者の受け止め方はさまざまだ。男子進学校、私立東海高校(名古屋市東区)の林道隆教頭は「教員の枠を超えた多様なスタッフが集まり、今までと違う学校が生まれるのではないか」と言う。愛知県の中学進学は「公立志向」が根強い。私立中の受験率は上がってきたとはいえ04年度16%。林教頭は「(海陽の参入が)私学に目が向く機会になればいい」としつつ「優秀な子を持って行かれるのではとの危機感もある」と明かす。進学塾「名進研」(同市西区)には、募集初年度に進学する小5の保護者から「どういう学校か」といった問い合わせが既にあるという。
少子化が進む中での学校新設に疑問の声もある。ある塾関係者は「国際交流や異文化体験などは他校でも行っている。既存の私立とは違う環境を提供しないと埋もれてしまうだろう」と指摘する。別の私学関係者は「結局は、トヨタなど出資企業の幹部の養成学校になるのではないか」とみる。
◇庶民に縁遠い感じ−−加藤幸次・上智大教授(学校教育学)の話
理念がよく分からないが、庶民には縁遠い感じがする。卒業生の進路を見るまで評価は難しい。イギリスのパブリックスクールも男女共学が増えている。次世代のリーダーを育てたいなら女性も受け入れた方がいい。語学も英語に限らず、アジアの言葉を教えてはどうか。単なる学歴エリートではなく、環境問題や人権、平和などの現代的課題にも対応できるような人材を育ててほしい。
◇自己犠牲、奉仕の心育てる−−葛西・JR東海会長に聞く
発起人の一人、JR東海の葛西敬之会長(63)に聞いた。
−−今の学校教育をどう思うか。
憂うべき状況だ。しつけができておらず、学力も下がっている。学校が効率的に教えないので子どもたちは塾に行かざるを得ず、一方で受験勉強に追われて主体性や創造性を伸ばす機会がない。
−−新設する学校の存在意義、方針は。
我々の力で小さなモデルを作って示し、波及効果を狙いたい。基本的な学力は重要だが、子どもが創造性を持てる自由時間を確保することも大切だ。大事な科目は集中して詰め込み、大事でない科目を選択制にして減らせばいい。寮生活できちんとした指導者がつけば、学力低下や人間関係の障害もなくなるだろう。
−−子どもたちが培うべき「指導力」とは。
自分の利益や願望を抑えても他人や社会、国家のため自らの力をささげる精神。「自己犠牲」「奉仕」がリーダーの持つべき大事な要素の一つだ。
−−企業が学校経営に加わる意味は。
人材を出せる。例えばトヨタには博士号を持つ技術者がたくさんいる。企業から学校に出ていけば、生活指導をしながら家庭教師、塾の先生の役割も果たせる。企業には幹部要員を育てるワンステップになるし、学校も他校にないノウハウを取り込める。
◇海陽中等教育学校(仮称)
男子校で1学年4学級、120人。開校時は中1だけ募集。低学年では国・数・英に重点を置く。海外提携校との国際交流プログラムも。教員は企業人脈も生かして集め「当初20人弱程度。6年後には60〜70人」。設置計画書は今年7月、愛知県に出した。将来的には共学化も検討する=写真は「ハウス」の完成イメージ図。
◇中高一貫校−−全国に152校
学校教育法改正で99年春から可能になった。(1)併設型(同じ設置者の中学から高校へ無試験で進学)(2)連携型(設置者の異なる中学と高校が相互乗り入れ授業などで連携、面接などで進学)(3)中等教育学校(中高で一つの学校)の3種類。今年4月現在、全国に152校(併設型68、連携型66、中等教育学校18)ある。
http://www.kaiyo-gakuen.jp/
女子聖学院 学校と私(毎日新聞 9月20日)
励ましてくれた校長に感謝=ギタリスト・村治佳織さん
ギター教室を開いていた父の手ほどきを受けて、3歳の時、クラシックギターを始めました。保育園の卒園式で将来の夢を「ギタリスト」と話したことは覚えています。プロを目指すようになったのはその時からかもしれません。小学校に入ってからは練習の毎日でしたけど、学校には普通に通いました。週2日ほどは友達と遊べる日があって、その日は遊べない分を取り返そうと夢中でした。コンクールを控え手をけがしてはいけないと、運動会に出られず見学することもありましたが、それが悔しいこともあって結構活発な女の子でした。
「プロになるには中学生の時期が大事」という両親の考えで中高一貫校を受験し、中3でプロデビューしました。午前は学校、午後は大人に囲まれてレコーディングや取材と全く違う世界を持てたのは良い経験だったと思います。中・高校の校長先生が印象に残っています。高1でフランス、2・3年ではイタリアなど夏休みを使って遠征し、学業との両立に努める私を心配して、よく校長室で一緒にご飯を食べながら「今は大変でも、後できっと役に立つから」と励ましてくれました。
スカート丈などを怖い顔で注意する生活指導の先生がコンサートに来て照れくさそうにサインの列に並んでくれた時は「見守ってくれているんだな」ととてもうれしかった。今でも2年に1回は母校でコンサートをしていて、それが励みにもなっています。
プロとして自覚するきっかけになったのは、高校卒業後のフランスやスペイン留学です。誰も自分を知らない土地での初の1人暮らし。不安と孤独もあって「なぜギターなのか」と自問しつつ、何気なく弾いたギターの音が「心地いいな」と素直に思えたことが今につながっています。「音楽も結局は人間性だよ」。10歳からギターを教えてくれた師匠(福田進一さん)の言葉は深く心に残っています。自分の生きてきたものが、音として伝わればこんなにうれしいことはない。何か一つ自分が好きで打ち込めることを見つけ、続けていくことの大切さを感じています。
http://www.seig.ac.jp/girls/index.html
豊島岡女子 新世紀を拓く教育
(全私学新聞 9月13日)
豊島岡女子学園中学校・高等学校(二木謙一校長、東京・豊島区)は、この10年、急速に進学実績を上げてきた。国公私立難関大学に多数の合格者を出しているというだけでなく、医学・薬学・理工学部など理系進学者の割合が39%にのぼる。文系では弁護士などの専門職を目指す生徒が多いなど、生徒たちの目的意識が明確なのである。
これまで、豊島岡女子学園は、常に生徒・保護者の求めるものを看取し、さまざまな改革を断行してきた。その原動力となったのは、戦後、廃校寸前にまで追い込まれたという、強い危機意識だ。昭和25年、生徒が好きな学校に行けるようにと、私立としては初めて公立高校との併願を取り入れ、入学手続き締め切り日を公立の合格発表日としたことが、その始めだった。昭和40年代半ば、高校応募者が激減する時期があった。その時、豊島岡女子学園にもっと特徴を持たせなければと、同校は進学校への道を歩み始めた。
平成元年、中学校で2度目の定員増を行い、1学年定員を150人とした。これを機に、入試日を2月2日に変え、入試日1日校との併願体制を敷いた。同時に教育課程も新しくした。その6年後の7年、早稲田・慶應・上智・理科大学へ大量の合格者を出した。翌年には、東大にも5人が合格した。それが大きな転換点だった」と二木校長は言う。「入試日の変更で、成績のよい生徒が集まるようになったこと、それを本校の教育の特徴であるきめ細かな教育とコミュニケーションのよさで、進学実績につなげていったのです」。
理系に強いとの評価が生まれたのは、特に理系に偏ったカリキュラムをつくったわけではなく、ただ、生徒たちのニーズに応じて、例えば、1・3年次に化学を履修する生徒が2年次にブランクを埋めるための授業がほしいと言った場合、教員が自主的に年間を通して化学の補習を行うといった取り組みが、「豊島岡女子学園は理系に強い、と伝わって広がっていったのではないか」と小林博子教頭は話す。
取材にうかがった8月7日は、二木校長の新しい取り組みの1つである夏休みの「クラブ体験」の日だった。小学生とその保護者が大勢つめかけていたが、学校側の話では、申し込みは470人、保護者を入れると1千人くらいになるという。テニスや漫画研究会、コーラス、阿波踊りなどいろいろなクラブの体験教室が開かれていた。特に人気だったのは化学・生物・物理の実験教室で、子供たちでいっぱいだった。運営は生徒に任せているとのことで、説明や実験をしているのはいずれも生徒たちだった。クラブ活動は、全員参加が原則。「授業での優等生が社会で活躍するとは限らない。さまざまな活動を通して、その子の特徴を見つけること、そして、センス・発想・努力・創造力を育てていく必要がある」(二木校長)からだ。
一方で、昭和23年から今も変わらず行われているのが運針である。生徒たちは毎日5分間の運針をする。針に糸を通すことさえよく知らない世代の子供たちだから、入学当初は不安に思っている者も多いという。しかし、中高一貫の生徒は6年間、毎日やることで、運針が習慣化する。集中力もつく。その積み重ねがいかに大きいか、いかに大切かを、生徒自身が体得する。東大を受験した生徒が、テストの休み時間に落ちつかないからといって、運針をやって落ち着きを取り戻したという話もある。「そういう生徒はとても多い。運針なんていまや死語でしょう。しかし、それを戦後から変わらず続けていく意義は大きいと思います。大切なものは変わらないのです」と小林教頭。
長い間、豊島岡女子学園を引っ張ってきた二木友吉前校長(現学園長)が昨年3月に勇退。それに伴い、請われて國學院大學の専任教授から校長となった二木謙一校長は、就任後すぐ、新たな改革に取り組んだ。生徒たちに、早い段階から進路を考えさせるために「輝く先輩に学ぶ」と題して、現在活躍中のOGの講演会を始めた。7月17日の第1回の講演者は、日本テレビアナウンサーの山本真純さん(平成7年卒業)だった。
組織改革も行い、今年度から、教務部長と総合企画部長を置き、教務部長の下には学年主任会議と教科主任会議を置いた。一方、総合企画部は、進路指導・生活指導・生徒会指導・環境防災・広報など教務以外の分野を担当する。これで、以前にも増して動きが速く、小回りがきくようになった。
二木校長には今後さらなる進学実績の上昇という期待がかかる。そのためには、教員にいかに力をつけさせるか、いかに取り組ませるかが課題だが、第一段階として、今年3月、全教科の自己点検・評価を行った。そこで出てきた改善点のうち、できるものはさっそく4月から実施した。同時にシラバスの勉強会を行い、2学期のシラバスの作成を教員に課した。9月1日には各学年・教科の2学期のシラバスを全生徒に配布する。来年度は、1年間のシラバスをつくる。矢継ぎ早の改革は、二木校長がこの先2年間に照準を合わせているからだ。平成17年3月、東京都の進学指導重点校が、指定後初めての卒業生を送り出す。18年3月には進学指導重点準備校がやはり初めての卒業生を送り出す。「その時、本校が、都立高にいかに水をあけることができるか、いかに上位にいるかが勝負。同時に、いかに豊富な教育内容を与えることができるか、この実績を示すことがやはり、勝負だと考えています」(二木校長)。
http://www.toshimagaokajoshigakuen.ed.jp/
藤村女子 ユニーク教育(全私学新聞9月13日)
7月10日、藤村女子中学・高等学校(江原美規子校長、東京都武蔵野市)の生徒にとっては、生涯忘れられない日となったにちがいない。同校の卒業生であるスワーダ・アル・ムダファーラ氏の講演が行われたからだ。スワーダ氏は1990年にオマーンでまず幼稚園を設立、現在では幼稚園、小学校、中学校、高校まで、約400人が通う学校の校長だ。まさに海外で活躍する日本人の女性の一人で、同校が誇る「素晴らしき先輩」(江原校長)だ。
この日で前期は修了する。江原校長はスワーダ氏の講演が始まる前、あいさつの中で「自分がどのような目標を持って今日まで生きてきましたか。本校の建学の精神は知・徳・体の調和のとれた女子教育の育成です。皆さんはこの素晴らしい学校で学ぶことができる喜びと自信、プライドを持ってほしい」と全校生徒たちを前に訴えた。
同校は「『心身ともに健全にして、知・徳・体の調和のとれた個性豊かな女子教育にあたる』という建学の精神から表れる明確な目標のもとに、生徒それぞれが自らの可能性に挑戦し、『未見の我』を発見することを目指している」(江原校長)。
その自らの可能性に挑戦し、文化や環境などまったく異なるイスラム社会に飛び込み、自分の目標を達成した女性がスワーダ氏だ。藤村の精神を受け継いだ一人といえる。
スワーダ氏は旧日本名、森田美保子氏。
「藤村中学・高等学校在学中には、教師になろうなどという気持ちはなく、学校設立資金ゼロから今日まで学校を築きあげることなど、考えてもいなかった」と言う。
なぜ、オマーンで学校をつくりたかったのか。
1978年、日本とオマーンの文化交流の催しで、オマーンを訪れた。オマーンはイスラム教の国で、女性が教育を受けられる機会は少なかった。スワーダ氏はオマーンの子供たちのために学校をつくりたかったのだ。
「オマーンにいて、日本の教育のよさを知りました。基礎教育のよさが今日の私を支えてくれていると確信しています」と述懐するスワーダ氏。
さらに「藤村の生徒であるということをしっかり考えてほしい。この学校の校風に合わせなければいけないと思いました。皆さんは今いるその環境に合わせることが大切で、そうすると、どんな環境にも立ち向かうことができると思いま
す。ただし、自分の個性をなくしてはいけないことはもちろんです」と、藤村で勉強できてよかったことを強調する。
「夢はそれぞれの自由であればよいと思います。自分に自信を持つことはたいへん大切です。自分がこうしたいと思ったら、夢は必ずかなうと思って、努力してほしい」と生徒たちを激励する一方で、スワーダ氏自身も「日本人であることの素晴らしさを自ら誇ることができるように頑張りたい」と語る。
スワーダ氏が同校で過ごした当時は、スカート丈が床上30センチだったことを例に、「これには生徒が並んだときにいかに美しく見せるかという配慮があるからです。私は美の追求ということが分かりました。どうか、年齢にふさわしいものの考え方を身につけてください」と熱い口調で語った。
同校は「躍動する藤村 未来はこの手に」を合言葉に、チャレンジを続けている。この日、ソフトボール、バスケットボール、囲碁、競泳、ダンス、柔道などで、インターハイや関東大会などに参加する選手・クラブのための壮行会も行われた。江原校長は「授業とスポーツを両立させ、部活動の成果を挙げたことに誇りを持ってほしい。そして、『藤村魂』を忘れずに、自らの限界にチャレンジし、21世紀の世界に羽ばたく女子教育パイオニア校の生徒として『敵は己の心にあり』を忘れずに試合に臨んでください」と、力強く選手、生徒たちを送り出した。
http://fujimura.ac.jp/
横浜雙葉 学校説明会報告(04年9月10日)
残暑厳しい中、700名あまりの父母が集まる。横浜雙葉の学校説明会は今回の9/10と11/6午前・午後の2回実施。1回目の今回は、横浜雙葉の教育を中心に、学校生活や生徒の様子などをお話しされた。11月には、志願票の書き方や入試問題など入試に結びつく内容を話す2回構成としている。
1.学校長の話 漆原校長
校長職に就きながらも高3生に授業を行っている。今年の夏、職員全員が参加して教員研修を実施しました。この研修は教員たちが会議を繰り返して今回実行されたものです。横浜雙葉の教育を知っていただく話の中で教員の意識を伝えたいと思います。この研修は2日間行われ、生徒と教師の関わりを更に深めるためにはどのような事をしていかなければいけないのかを研修しました。生徒たちとの係わりは要求するだけではない教師一人一人のスキルをも上げていく必要があります。
横浜雙葉の教育を大事にし、更に深め、高めていくには、「聞く」ということを大切にし、どのように能力を伸ばしていけるかです。私自身、若いときに外人の司祭に受けた教育が現在の心構えなどのベースになっております。その司祭が強調していたことは「聞くのは言葉を聞くのではない、相手を聞くのだ。相手そのもの、気持ちや背景、状況など、言葉にしえない人間そのものに耳を傾ける」ということです。ありのままの相手そのものを聞いてあげられることが出来れば、深いコミュニケーションが出来ると思います。子どもが親や教師に本当に聞いてもらえているという実感は、愛されている実感と同じである。雙葉の理念と同じである。人を育てようとするときに、インプットしたものは定着しない。知識でも社会性でも、花開くかどうかは土壌部分が大事。自分が大切にされているという実感があって初めて順調に人格は育っていくものです。きちんとした人間として育っていくには満たされることです。学校では知識を与え、ルールを厳しくして満たしていくのではなく、教師対教師の人間関係、担任と生徒ひとりひとりの関わり、自然体験では自然対人間との関わり、様々な体験を通して生徒対生徒、生徒対教師の関わりが結びついていく。雙葉では至る所で生徒と先生が話をしています。関わりを持って人を育てる、雙葉らしい雰囲気があります。具体的には総合学習で、関係、つながり、きずなというものの基本的な考え方を、様々な価値観や能力を伸ばしていこうと。地球社会の一員として21世紀を生きる、アジアの中の私、奉仕活動、支え合って生きる生き方・・・。心掛けているのは、様々な関わりを通じて、関わりを深める能力を学校教育の中で育てていきたい。いや、それを出来る生徒を作らなければいけない。関係を築き、関わりを大事に、人の幸せが自分の幸せにもなると考えられる子を育てる。カトリックの理想は高いかも知れませんが、雙葉が心掛けていることです。最後に、日頃から皆様が気になっていると感じさせる面接について一言を。一般的に合否の基準にはなりません。ボーダー付近の子どもの合否基準のプラスαで参考にすることは考えられますが、実際面接で合否を決めた例はありません。雙葉は面接を大切にしたいという気持ちを持っており、意図をご理解いただきたい。教育は関わりというお話をしてきました。父と母と教師の関わり、入試そのものは制度ではなく教育の場、この面接も雙葉と皆様との関わりの最初でもあり、ご挨拶の場と捉えています。
2.生活指導について 英語科永井先生
生徒達からは厳しいと一目置かれている存在の先生らしいが、それでも永井先生に教わりたいという生徒が多く、信頼が厚い先生と司会の先生から見た印象を紹介される。
雙葉は厳しいと言われていますが、生活指導の立場ですから厳しく見ています。なぜなら現在の世の中、結果よりもプロセスという努力、相手に対しての敬意という大切なこととは逆の事件が多く耳に入ってきます。人生では失敗して学ぶことがありますが、命を守ること、身体を傷つけること、、、失敗して学ばせるわけにはいかないのです。
雙葉での指導で注意している3つの点について
(1)ありのままの自分を受け入れる・・・パーマ、ピアス、染髪など外見を変えたりするのもそうですが流行に流されない、本当の美しさを知ってもらう。
(2)周りに対して気配りの出来る女性・・・心の中を思いやる。
(3)耐える力を兼ね備えた女性・・・何でも手に入る世の中でもあり、制限することでそこにあるものを工夫できる努力。
3.学校生活の様子・進路指導について 英語科田口先生 数学科増山先生
生徒たちの様子を日誌から抜粋して報告。コチコチに固まっていた中学1年生たちは夏休みを経て、大きく成長してきている様子として入学式の学級日誌から新しい環境になれることへの期待の日誌を朗読。別の子の友達を作ることへの不安と期待が書かれた日誌も朗読。小学校から来た子と中学から入った子とうまくやれるかなどが書かれていたが、小学校から上がってくる子たちも、新しい友達が出来ると楽しみにしており、校外学習の日誌でも活動を共にしていく上で、思いやりや心を開くこと、大人の介入ではなく生徒同士ですぐに打ち解け合う様子を日誌から伝える。
増山先生は昨年の高3生の学年主任をしており、ついこの間の卒業式での涙を思い出す話を。高校1年から見ており、高校の3年間は一人一人の夢を現実に近づける学年であり、高校1年から3年間見てきたので思いも大きい。同じように日誌から、理系、文系の生徒の日誌を朗読。運動会で伝統行事である高3生の踊りについて、その瞬間周りがシーンと静かになり、張りつめた空気の中、演技が終わると涙を流している先輩たちの姿を見てきた自分が、その立場になった今、涙の意味を知るというような日誌であり、パンフなどでは分からない横浜雙葉の様子を話している先生の表情から、校長先生が話していた生徒と先生の関わりを垣間見れた。田口先生の話された中1生の様子も、アクセスの卒業生が遊びに来てくれたときに後輩達に向けて書いてもらった掲示物でも同じように書かれているのが印象的でした。入試に向けた話は次回の説明会ということだが、横浜雙葉という学校の取り組みや姿勢、様子が分かりやすくまとまった会であった。
2005年入試
試験日 2月1日
募集人員 90名
筆記試験と面接 面接は事前面接。1/10(祝)、14(金)〜16(日)、21(金)〜23(日)で受験者と保護者1名の面接。昨年までとは違い、平日の金曜日も事前面接日に指定。
(報告 A.Sg)
http://www.yokohamafutaba.ed.jp/
関東学院 05年入試要項
A日程を2月2日から1日に、C日程を2月4日から5日に。
A 2月 1日 男女4科60名 2科20名 2科4科
B 2月 2日 男女4科80名 2科30名 2科4科
C 2月 5日 男女 2科20名 2科
帰国 12月11日 男女若干 英語または国語、作文、面接
入学手続は各回とも2月14日12:00まで。
http://www.kantogakuin.ed.jp/
公開模試情報
首都圏模試9月 統一合判(9月12日)
前年比0.5%の減少。男子の2.3%の減少に対して、女子は1.2%の増加。
毎年、参加者を増やしていた首都圏模試の参加者がわずかとはいえ減少。05年入試の受験生は04年と同じ人数を維持するのは難しく、やや減少の可能性が高い。
04年 03年 02年 01年 00年
男子 4科 5199 5225 4676 4387 3559
2科 911 1029 1022 1053 1206
女子 4科 4817 4604 3865 3213 2410
2科 2331 2461 2639 2853 3526
合計
13258 13319 12202 11506 10701
教育情報
女性の高等教育 日本は最下位、OECD調査
(毎日新聞 9月14日)
大学など高等教育卒業者に占める女性の割合が、日本はOECD(経済協力開発機構)加盟30カ国で最低だったことが、OECDが公表した国際教育指標「図表でみる教育(04年版)」で分かった。02年の統計で、調査対象項目となった98年以降、5年連続で日本が最低となっている。文部科学省は「日本では女性が短大に進学するケースが多いが、OECDの定義では短大卒が高等教育卒業者に含まれないため」としている。
OECDは、国際比較が可能な最新の指標を(1)教育機関の成果と教育・学習の効果(2)教育への支出と人的資源(3)教育機会・在学・進学の状況(4)学習環境と学校組織−−の4テーマに分け、92年から毎年公表している。
日本は、高等教育の卒業者に占める女性の割合が学士39%(各国平均55%)、修士26%(同51%)、博士23%(同40%)で、いずれも加盟国中最も低かった。大学に在籍する外国人学生の割合(02年)も1.9%で、各国平均の5.7%を大きく下回った。また、国内総生産(GDP)に対する公的財政教育支出の割合(01年)は3.5%で、各国平均の5%を下回った。
国公私立学校の各学級に在籍する生徒の平均人数(02年)は、▽初等教育(小学校)28.8人(各国平均21.8人)▽前期中等教育(中学校)34.3人(同23.7人)。初等教育では韓国、トルコに次ぎ3番目、前期中等教育では韓国に次いで2番目に多く、教師の負担が大きい実態が浮かんだ。
国立天文台調査 小学生の4割「太陽が地球を回ってる」
(朝日新聞 9月21日)
小学生の4割が「太陽は地球の周りを回っている」と思い、3割は太陽の沈む方角を答えられないことが、国立天文台の縣(あがた)秀彦・助教授らのアンケートで分かった。回答者はそれほど多くないが、身の回りの天文現象への関心や知識が薄れている傾向が見て取れる。21日から盛岡市で始まる日本天文学会で発表される。
01〜04年に、北海道や広島など8都道府県の14小・中学校約1700人にアンケート。このうち、太陽と地球の関係については、授業で天文を学習した公立小4校の4年〜6年生までの348人が回答し、「地球は太陽の周りを回っている」と正解したのは56%。42%は「太陽は地球の周りを回っている」を選んだ。また、太陽が沈む方角を公立小9校720人に尋ねたところ、「西」と答えた子どもは73%で、あとの3割近くが正確に答えられなかった。都市部ほど正解率が低い傾向があり、縣・助教授は「夕日が沈むのを見るような自然体験が子も親も失われている。情報があふれる一方、テレビやゲームなどに時間を奪われ、身近な現象を学ぶ機会が減っている」と指摘している。
誤答の多い結果について、調査した教師や研究者らは、今の小学校の学習指導要領では教える内容が厳選されていることを理由に挙げている。「地球の自転・公転はもちろん、月の満ち欠けの仕組みなども教えるようには明記されてはいない。小学校では、天体や宇宙を大きくとらえられるような授業が必要だ」と話している。
関連記事
文部科学省が反論 指導要領に問題ない(共同通信 9月22日)
小学生の4割が天動説が正しいと答えるなど天文の知識が崩壊している実態を明らかにした国立天文台の研究者の調査結果について、御手洗康文部科学事務次官は22日の定例会見で「地球の自転や公転についての学習は中学校で、きちんと体系的にすることになっている」と述べ、学習指導要領に問題があるとの見方に反論した。
御手洗氏は「自転や公転を体系的に理解するのと、単なる知識として地動説を知っているのとは別」と強調。「中学校で観察を行い、天体の動きを理解させている。指導要領の全体構造を見てほしい」と語った。
さらに御手洗氏は「ただ、知識の問題ならば、日常生活の常識としてどこで教えていくか。家庭や大人との会話などで教えていくという問題を、もっと考えることが必要とは思う」と述べた。
教員公募制 杉並区が校長の方針賛同の教員公募制へ
(朝日新聞 9月21日)
東京都杉並区教育委員会は、区立の小中養護学校の校長が求める教師像を公表して賛同した教師が応募する公募制度を、来年度から導入する方針を決めた。校長が学校経営の方針を示し、教師が主体的に応募する仕組みを入れることで、区立校に活気と特色を生むのが狙い。公立小中学校を対象とする教師の人事に公募制を取り入れる自治体は津市や京都市の例があるが、都教職員組合は批判している。
杉並区が始める公募制度は通称「ゆびとま(このゆびとまれ)方式」。教師の配置を決める権限は東京都教委にあるため、区教委は校長・教師双方の希望をとりまとめて都教委に伝え、異動の実現を目指す。
来月1日から、44の小学校、23の中学、1養護学校の校長が、求めている教師像を、自分の学校の現状や課題、教育目標とともにホームページなどで示す。関心をもった教師は、所属する学校の校長の了解を得て、自己PRの「志願書」を送る。校長が本人に会って、受け入れたい場合は11月初旬までに区教委に報告し、区教委は調整して都教委に伝える。
対象者は、区立小中養護学校で働く教諭。都内の他区市町村の教師がホームページなどを見て連絡をした場合は、将来に向けた人事情報として区教委が把握し、活用を目指したいという。
納冨善朗教育長は「この制度は校長の学校経営への支援であり、教員の意欲を引き出すための工夫でもある。学校が活性化すればなにより児童、生徒にとってプラスになる」と話している。
文部科学省によると、こうした取り組みは一部の高校や研究開発校では行われている。小中学校としては津市が今年度から導入しているほか、京都市も4小中学校で採り入れている。京都市では教師側が自らの技能をPRして異動の参考にする「フリーエージェント制」もある。
一方、都教職員組合の杉並支部は、制度の中止を求めて要請書を提出した。都教組は「人事権のない杉並区教委が、都教委が作ったルール(異動要綱)から逸脱し、独自の制度を始めるのは二重の基準であり、現場に混乱をもたらす。校長が気に入った教師を事前に囲い込むことにつながり、学校間の差別、校長間の過剰な競争を生む」としている。
◇ 〈教員の公募制〉 校長が、特色のある学校作りや、自校の課題解決を目的に、求めている教師像を示し、賛同する教員が応募する制度。河村文科相の私的諮問機関「これからの教育を語る懇談会」も今月発表したまとめで、「学校の意向に即した人事を行うことができるよう、公募制の積極的な活用を促す」としている。
その他
《連載開始》
進学塾の歴史的曲がり角 〜日能研と私の「罪と罰」〜
海風荘主人 三渕衡一 (元日能研取締役・前センター通信社代表)
T 1976年〜1977年(日能研入社と当時の中学入試状況 )
1 苛酷な労働、栄光合格作戦の大勝利
1976年夏、社会科専任として日能研に入社。齢36才、月給15万円、冬のボーナス20万円だった。
当時の日能研(日本能率進学研究会)教務は切り貼り全盛で、テキストは「力の5000題」を使っていた。
湘南ブロック(大船校・平塚校)に配属され、偶然、大船校の1組・2組(当時の日能研最高レベル男女90人)を担当することになる。そこで他の教科の専任とチームを組み「栄光・フェリス対策」にばく進。スローガンは「ベテラン時間講師達の鼻をあかそう」。方針は「日能研のカリキュラム・教材等を逸脱する」こと。ただし栄光・フェリスの「学校別対策」はうたわず「過去問」は家でやらせた。そのかわり二校に似た問題を選び、本科授業でその「対策」をガンガンやった。
労働条件はきつく、昼過ぎに出社するとすぐに生徒募集DMの丁合・ホッチ・袋づめ・切手貼り等の作業が授業開始(17:30)の直前まで続いた。授業準備や教材研究など全く出来ない。やむなく自宅で猛勉強。授業は「出たとこ勝負」のハッタリばかり。教室長と「団交」めいたことをして、この「作業手伝い」を「合格に直結しない」とやめてもらった。すると教室長もさるもので、かわりに受験相談(父母面談)を全面的にこちらに押し付けてきた。午後1時から5時まで1人30分で毎日6〜7人、とくに私は4人(4教科担当者)の中で最年長なのでやたら頼られた。しかしこちらは入社4〜5ヵ月で学校のことなど何も知らない。やむなくM教室長の経験に頼り、
「栄光はどういう子が入りやすいの?」
「素直な子だね。通信簿の家庭科に1や2があるとマズイ」
「フェリスは?」
「サラリーマン家庭のうるさ型が良い。お嬢様タイプはダメだ」
せいぜいこのくらいのことを(ひそかに)「金科玉条」として頑張った。
直前(1月)の塾のテキストは市販の「まとめ問題集」で使いものにならない。やむなく全面無視し低学年の範囲にヤマを張った。地理の初歩(地形、気候)を1ヵ月シッカリやった。それと記述対策。高知大付中か何かの「瀬戸内式気候と中央高地気候の共通点と違いをのべなさい」という問題をやったが、これが偏差値的高位生には難問。添削などしているヒマがないので、自分の解答を読み上げさせ、次々にボロクソにコキおろした。おかげで生徒達にはひどく恨まれ憎まれた。ところがその年の栄光の社会科はまさに「気候」がテーマの大問1問のみ。70%分くらいは記述。つまりマグレの大当たり。算数の先生も大山をあてた。
結果としてその年の栄光には大船校1校だけで43名合格、平塚校からも12名合格。これは空前絶後の日能研記録。ちなみに日能研全体の栄光合格者はこの年95名くらい。他塾生も含めた全合格者は190名くらいだったと思う。フェリスは成績通りに合格して面白味が少なかった。(強いて言えば「国語の強い子」のスレスレ合格が多かった)。
「勝因」は要するに沢山受けさせたこと。あのころは「栄光×、浅野○」でも公立中に進学する優秀生が多かった。私はそういう「湘南高校幻想」をあおり、浅野に受かりそうもない子(4組生)まで栄光に挑戦させた。たくさん落ちたが何人かは合格した。聖光志望生には父母面談であることないこと聖光の悪口を言い栄光志望に変えさせた。「目的のために手段を選ばぬ」デマ宣伝。当時の高木会長は私のデマ宣伝能力に注目しすぐに「本部受験相談室長」に抜擢して、対外広報紙の編集と執筆を任せた。
2 当時の世界情勢、日本情勢と私立中高・塾
時代は1975年春のベトナム陥落という世界史的事件で大きく揺らいでいた。一方では世界的規模での「戦後革命」的な人民戦争の拡大。他方では凶暴な反動の嵐(レーガン、サッチャー、中曽根)。アメリカはイラクを使ってイランとの泥沼戦争をやらせた。スターリン主義諸国はアメリカの敗北によって出来たスキをついて自国の勢力拡大をはかった。中国のベトナム侵攻、ベトナムによるカボジア侵攻、ソ連によるアフガニスタン侵攻等。これらは「世界的規模での戦後革命」に水をかけ、(アメリカ)帝国主義の立ち直りを助けた。
日本(帝国主義)は高度経済成長に行きづまり(1973年石油ショック)、1970年安保闘争の大爆発に打撃を受けて、侵略と暗黒への衝動を加速していた。
そういう中で私立中高一貫校はその飛躍を準備していた。(1964年、灘校の東大合格実績のトップ奪取。公立中高の「現代化カリキュラム」の大破産、1970〜1975年の高校学園闘争の激発。そして1975年の私学振興助成法の成立が決定的な飛躍台となった。つまり私立中高一貫校は体制の側から、公教育の破産を補い「侵略と暗黒」教育の先兵になることを期待されて「跳躍の機会」を与えられたのである。当時イラクのフセインはアメリカの手先としてイラン革命圧殺のための戦争(イラ・イラ戦争)を10年近くも続けていた。その後彼は「反米」となり、今回、政権としてはつぶされた。日本の私学の1975年以来の歴史は、何かフセインの運命と非常によく似ている。
当時の日能研は神奈川県内でようやく山手英学院に競り勝ち、まだ中萬学院を引き離し切れないでいた。関西(神戸)もモタモタして浜学園にやられっ放しだった。「東京進出」など夢のまた夢で、三田や板橋(大山)に教室を出したが、四谷大塚に惨敗してすぐに撤退した。それが1981年・82年からの「中学受験ブーム」に乗って15年くらいで「全国一」になった。
私はその先頭で旗を振り、エゲツナイことを沢山やった。社内の地位は急上昇し、給料(とくにボーナス)がすごく増えた。たしか2年か3年で前職(NHK)の給与レベルを上回った。おまけに仕事はNHK放送記者の仕事よりはるかにらくだった。(とくに宿泊勤務と徹夜勤務がなかったこと)ただダラダラとした長時間労働、休日休暇の少なさはひどかった。
U 1978年〜1983年(中学受験大ブーム、臨教審)
1 「塾=寄生虫論」のすばらしさ
1977年からの「受験相談室長」という仕事は新築になったばかりの新横浜本部の5Fの統括的な大部屋で会長の隣りか斜め前に机を与えられ、父母からかかってくる受験相談、学校相談の電話に応答するのが日常業務だった。総務・営業・企画・出稿事務等は机を並べて雑居し、役員で個室を与えられたのは会長一人(5F)で経理も5Fだった(1F・2Fは新横浜教室、3Fは印刷、4Fが教務。印刷工場、発送・配送の作業はプレハブの別棟で行なっていた。会議室は3Fか4Fに1つだけあった)。
会長は私の電話応答にいろいろ聞き耳を立て、終わると詳しい報告を求め、「まあいいか」とか「甘い」とか論評をくだした。彼自身(当時61才)は体力的に相当ガタがきていたうえ、日能研も大きくなり、以前のように「相談」は全て自分が責任をもって一人でやることが出来なくなっていた。そこで私をサブにして手足のように使い、同時に目となり耳にしたかったようである。学校訪問、父母会、受験相談とすべて私が同伴した。父母会では終了後に(たいていは飲み屋で)「総括」をした。彼自身「総括」を出し私に感想を求めた。私は「あれはよかった(ウケた)」「これは良くなかった(ウケなかった)」「あれについては良かったか、悪かったかわからない」とハッキリ答えた。時々ムカッと来たようだが、大体満足してくれた。状況がまずくなると、私は会長と「共演」していた日吉(現日能研関東)の小嶋理事長の話にケチをつけた。これが大満足で私は危機を脱した。数ヶ月後に私は学校訪問・父母会・受験相談等を一人でやることを許された。
以後約7年間、私は彼の「側近」の一人として「高木イズム」(日能研イズム)を徹底的に叩き込まれた。たとえばその一つは「塾は私学の寄生虫だ。私立中高にむかってエラソウナ口を利くな。徹底的にたてまつれ」というものである。これはいまの日能研の幹部や一部職員の私立中高に対する言動を知る人には信じられないかもしれない。しかしこれは事実であり当時は日吉(関東)の小嶋理事長でさえこの教えを厳守していた。
高木会長がこれにこだわったのは、当時の四谷大塚を頂点とする塾関係者が早くも私学にエラソウな態度をとり始めていたからである。高木氏はもともと日進(日本進学教室)の講師出身だから、日進はそれほどでもなかったのだろう。しかし四谷大塚はそのテストの合格判定を一部の著名な私立中に限定し、これらの諸校を「エントリー校」などと称していた。(今でもそうだ。)これでは「非エントリー校」はまるで学校ではないみたいだ。塾としてそんな学校評価をするのは「エラそうな」ことではないか?事実、今でも四谷系の塾の講師たちは不勉強な生徒をおどすときによく「お前ら、そんなことでは受験できないぞ」などという。これは「エントリー校」の受験が出来ないというだけの話である。しかもそれさえ不正確で「エントリー校」の受験は自由に出来る。ただ合格が極度に困難だという話にすぎない。最近の日能研の幹部や一部職員のエラソウナ言動の急増は、いわば「日能研の四谷大塚化」の一つのあらわれだと思う。
この「塾寄生虫」論にはウラ(ホンネ)がある。「豚は肥らせてから食え」という塾経営論理だ。A中は良い私学だが世間からは軽視ないしは無視されているとする。そこでA中を大賛美し、生徒・父母を説得して大量に受験させる。他塾生はバタバタ落ちて偏差値は上がる。にわかにその学校に多数受験しに来るが、「先行」している日能研(生)にはなかなか勝てない。
2 「中学受験ブーム」の爆発と高揚
このブームは1982年入試から始まり、途中1987年の「チャイルドショック」(少子化)のはじまりをものともせず、1991年まで続いた。毎年受験者総数が10%〜20%も増えるという大ブームだった。
直接のキッカケは@1981年春から「ゆとりカリキュラム」(英語週3時間等)の本格実施。A同年秋の全国の公立中における校内暴力の爆発。この二つ。
@は戦後教育政策の歴史的大転換の開始だった。「落ちこぼれをなくす」というスローガンによる教科内容(とくに英語と社会)の大削減。しかし(今日のように)事前にはほとんど問題にならず、本格実施の直後から公立中生の父母の間で一挙に問題となった。たちまち関西では英語の時間増を求める市民運動さえおきた。
Aについて。「校内暴力」が中学に広がったのは初めて。当時のマスコミや評論家は「受験つめこみ勉強への反発」が原因だと言った。完全なマチガイ。むしろ「ロクに物を教えない→人間として相手をしない」ことへの怒りが原因(日能研中学部大和校での体験から)だった。これがその後の公立中高の「生徒管理」(体罰・いじめ)の原点になった。
これに対して、私学の側はこのブームを迎えうつ準備ができていた。
@ 助成法の実施(1976年〜)
A 中高一貫カリキュラムの完成と深化
(1950年代に灘・麻布が開始。60年代に開成等に拡大。70年代に人間的・教育的深化をはたす。)
B 学園紛争の前向きの打開と収拾
麻布・灘・駒東などの対応は公立高と正反対の対応だった。(これは聖学院のS先生の説)
3 教務部長→取締役への昇進
そんな時期に社内では歴代教務部長のスキャンダルや無能が続く。
・ W氏…父母会で現代表を「みにくい高木の子」と放言。
・ U氏…受験生の母と、子どもを捨てて「かけ落ち」
・ F氏…東大文学部卒(元社青同○×派)。口先だけは美しいが強引な労務管理だけが売り。教務のことは完全な無知。女子学生アルバイトとの間で○○事件。
・ H氏…すごい色男で女子職員との噂が絶えず、しかもひどいアル中。最後は脳の大手術。
結果、1981年教務部長。1983年秋取締役に。その間、「高木の子」の社内派閥形成(かつぎ主はK部長)→親子対立の激化→「巨星集団」論争→「高木の子」専務解任、社外(別会社)へ追放→三渕が役員にという動きをたどる。
このうち「巨星集団論争」とは、84年度の募集広告のメインスローガンをめぐる親子対立。息子(幹夫氏)が「日能研生=巨星集団」というスローガンを提唱。役員会では「専務(幹夫)派の2人が賛成。会長は猛反対(彼は多分、日能研が「エリート塾」になることをおそれた。そうなると少人数になり、金がもうからないと考えた)。しかし他の3人の役員は「中立」で会長は孤立した。翌日は多摩プラーザ校の父母会で、早めに出かけた私は待ち構えていた会長につかまり、2人で控え室で仕出し弁当を食べながら、この件への感想を求められた。私は「天文学」を趣味としていたので「巨星集団」のスローガンを嘲笑しコキおろした。「巨星には2種類ある。『青色巨星』は銀河形成の初期に生まれ、大きいだけに燃焼も激しくて早く燃えつき、今は大部分がブラックホールになっている。『赤色巨星』はふつうの星が水素を燃やしつくして、より重い原子を燃やそうとして中心部が急速に収縮して超高温・高密度になる。それとバランスをとるために周辺部が膨張する。太陽も間もなく30億年後にそうなり、地球などをのみつくす。いずれにせよ『巨星』とは死滅したか、死滅しつつある星だ。そんなものをスローガン化するのはナンセンスだ」。会長は涙を流さんばかりに喜び、翌日に本部に戻ってそのスローガンを粉砕し、幹夫氏を解任・追放してかわりに私を役員に抜擢した。(次号に続く)
<問題>
次の五十音図をよく見て、問いに答えなさい。
ん | E | ら | @ | ま | は | な | た | さ | か | あ |
F | り | A | み | ひ | に | ち | し | き | い | |
G | る | B | む | ふ | ぬ | つ | す | く | う | |
H | れ | C | め | へ | ね | て | せ | け | え | |
I | ろ | D | も | ほ | の | と | そ | こ | お |
(問一) 図中のB・C・E・Iに入るべき文字をそれぞれ書きなさい。
(問二) 五十音図の文字には、二とおりに発音される文字が二つあります。その二つを書きなさい。
(問三) 五十音図の各行の文字のそれぞれに「る」を付けると、動作を表す言葉(「動詞」という)ができますが、「る」を付けても動作を表す言葉が一つもできない行は何行かを答えなさい。ただし、「ん」は除きます。
(問四) 五十音図の「あ行」以外のどれか一文字に「る」を付けてできる、動作を表す言葉のうちで、漢字で二とおりに書けるものを、例にならって二組書きなさい。 例練る・寝る
(問五) 五十音図の「あ行」の五文字それぞれに「る」を付けた場合、動作を表す言葉が五つできます。それぞれを〈漢字+る〉の形で書きなさい。ただし、同一漢字は二度用いないことにします。
(問六) 五十音図の文字のうち、共通語としては、文の始めに使われない文字をあるだけ書きなさい。
(98年灘中)
入試問題に挑戦第126回解答編
<問題>
あるお菓子屋さんでは1個120円のお菓子を売っています。6個入りは箱代が80円、9個入りは箱代が100円です。このとき次の問いに答えなさい。
(1) 6個入りと9個入りの菓子箱はそれぞれ何円ですか。
(2) 6個入りと9個入りの菓子箱とばら売りを何個かずつ買ったところ全部で8780円になりました。6個入り、9個入りの菓子箱とばら売りを、それぞれ何個ずつ買いましたか。考えられるすべての場合を答えなさい。ただし、ばら売りは20個以下とします。
(04年桜蔭)
<解答>
(2)を如何に整理して手際よく処理するかがポイントです。大問の3番目に出題されてますから、ここで時間をロスすると後半に響きます。
(1) 6個入り・・・120×6+80=800(円)
9個入り・・・120×9+100=1180(円)
(2)
合計が8780円ですから、9個入りは7個以下だとわかります。(1180×8=9440で、越えてしまうため)
9個入りが7個の場合、1180×7=8260(円)、残りの金額の8780−8260=520(円)は、ばら売りではつくれません。
ですから、9個入りが7個の場合はありません。
9個入りが6個の場合、残りは520+1180=1700(円) これを800円と120円でつくっていきますが、これもつくれません。
(800円について調べればよい)
9個入りが5個の場合、残りは1700+1180=2880(円) これは800円3個と120円4個でつくれます。
このあとは、1180円ずつ減らしていって800円と120円で作れる金額をみつけていきますが、1180円はつくれません。
2倍の2360円は、10の位が6ですから、120円を3個か8個か13個か18個かで作れないか調べてみると、
2360=120×13+800×1よりつくれます。
ここで、9個入りのものを2個ずつ減らしていけばよいとわかりましたから、120円のものが20個
を越えないように注意して調べると
2360×2=4720=120×6+800×5 が見つかります。
(800×2+120×26でも4720にはなりますが、20個を越えてしまう)
以上より
(6個入り、9個入り、ばら売り)=(3個、5個、4個)、(1個、3個、13個)、(5個、1個、6個)
となります。